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19世紀に広がった立憲制にはどのような特徴があったのか?(第12回立憲制の広まり)

Koba_gochiusa 公式アカウント めもりんグリーン

前略
前回同様元のプリントにない穴を追加してあります。

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イタリアの統一


1849年、 がローマ共和国の成立を宣言したが、失敗した。
1950年代には、イタリアで 補足1が高まり、 の形成が進んだ。
補足1[押すと開くよ](穴を埋めてから読むことを推奨) ナショナリズムは国家という独立した共同体を形成しようとする思想・運動のこと。
国家主義、国益主義、民族主義などと訳される(らしい)。
書いてるときに「ナショナリズムってよく聞くけど結局なんなんだろう」って思ったので追加した。
知っておくと役立つかもしれない。
[イタリア]
中世に小国に分裂したが、 による統一が進んでいった。
国王 :
首相 : 近代化政策を展開

1859年 フランスの支援を受け に宣戦、 が開始。 を併合した。
1860年 が中部イタリア諸国を併合、両シチリア王国を征服し、サルディニア王国に した。
1961年

プロイセン王国
・プロイセン=オーストリア戦争でヴェネツィア併合
・プロイセン=フランス戦争で教皇領併合

最終的に、トリエステ・南チロルなどの と呼ばれる部分は併合することができなかった。

ドイツの統一


ドイツでは、プロイセン主導でオーストリア以外と を結び、経済的統一を進めた。
オーストリアを除外してドイツ統一をしようとする方針を という。
国王:
首相:
1866年、プロイセン=オーストリア(普墺)戦争で が形成され、1867年に が結成された。
プロイセン=フランス(普仏)戦争では を獲得し、1871年に が成立した。
内政は などの社会政策、 政策で国内産業を保護した。
外交では の孤立化を図った。

フランスの第二帝政・第三共和政


<<第二共和党下のフランス>>
1848年12月、 が国民投票にて大統領に選出された。
その後軍隊を動員して を包囲するなどクーデターを行った。
1852年に再度国民投票を行い、 として即位、 が始まった。
などで軍事的功績を残し人気取りをするが、 に失敗、 に敗北し、1870年に が崩壊した。
1871年、 がドイツと講話をしたことでパリ民衆が蜂起、 が樹立された。
その後、臨時政府軍の攻撃により2ヶ月で崩壊した。
臨時政府により をとる 憲法が成立。
多くの資本を に投下した。

アジアにおける立憲制と大日本帝国憲法


オスマン帝国


18世紀から軍事的に弱体化、19世紀前半には でエジプトに敗北する。
1839年に西欧化を目指した行政・司法・軍事の改革、 を開始し、社会の混乱を招いた。
1876年にはアジアで最初の憲法である を制定した。
1877年から1878年の の大半を失った。
これにより、憲法が停止され、 が復活した。

日本


1882年、 である の憲法を学ぶため、渡欧した。
帰国後に国家制度の改革を行った。
・1884年に を設置。
・1884年に旧大名や公家、明治維新の功労者、官僚・軍人・実業家を とする を制定。
・1885年に太政官を廃止し、近代的な統治組織を作る内閣制度を制定、初代内閣総理大臣に が就任した。
1889年2月11日に発布された は、天皇が制定する で、アジアに先駆けて近代的な立憲制を導入した。