義和団戦争から日露戦争へ
《清》
日清戦争に敗北→列強による清の分割が進む
(1900〜01)
↓ ・・・民衆の排外運動、スローガンは「扶清滅洋」
清はこれに乗じて各国に宣戦→敗北
→
(1901)・・・巨額の賠償金、外国軍の北京駐留
※
清政府・・・乱に同調し、列強に宣戦=北清事変
→列強・・・出兵し、北京占領
※
ロシア・・・満州(東北部)に進む
日本・・・①日露協商・・・露は満州、日は朝鮮
②
・・・英と結び、露に対抗
義和団の乱後
《ロシア》
| 清の東北地方から撤退せず ← 《日本》
(1902)
| ↓ |
| 1904〜05
|
| |
第一次ロシア革命による国内混乱 経済力に限界
↘︎ ↙︎
1905
・・・
米大統領調停
日本・・・
南部の租借権、
株式会社の経営権
を獲得
But 戦時中、重い負担があったにも関わらず賠償金なし
→
※政府は社会主義者の弾圧を強める
→
(1910)・・・
ら処刑
ロシア 日露戦争に苦戦→
(1905)
→第一次ロシア革命=ソヴィエト(評議会)が多くの都市で組織
される
・・・皇帝
の十月宣言
ドゥーマ(国会)の開設(1906)
※部分的な立憲制の導入
→ストルイピン首相の農業改革→農民の困窮をまねく
歴史総合-義和団戦争から日露戦争へ ④
2学期 中間
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